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FRESHMAN(1学年)が終わり、SOPHOMORE(2学年)に入った。2学年からあらたにENDOCRINOLOGY(内分泌学)の講義が加わった。この科目は中でも一番難しく教師はインド人でPhDの資格を持つ教授である。今までアメリカ人であってもなかなか単位を取るのが難しいとされ、ましてや外国人である私には荷が重かった。しかし、一つだけアメリカ人より有利だったのは先生がアジア人の英語であったため、私には意外と理解するのが容易であった。まさにアジア民族の特権である。
2年目にはいると学生生活に少しずつ慣れ友人も増えてきた。ちょうどこの頃、大学から呼び出しがきた。それはパーマー大学のInternational
Student Club(留学生会)というオフィスからのものであった。このクラブは留学生のために設けられていてメンバーは200人位が属していた。当時パーマー大学は全校学生が2000人で、200人という数は10人に1人が留学生であり、まさに国際色豊かな大学であった。
留学生会は私をアジア地区の会長に任命したいという主旨であった。それを聞いて驚いた。なぜ英語力の弱い私が選ばれたのか理解に苦しんだ。その意味が後で分かったのだが私の場合は他の日本人と違いアメリカ人とのコミュニケーションの取り方がよくみんなから慕われている。ということが任命された理由であったらしい。
ある日、そのクラブのメンバーの一人であるチリ人から、私に明日の晩仲間でパーティーをするから遊びに来ないかと誘いがあった。そこで同じ日本人留学生2人に声をかけ、そのパーティーに参加することにした。我々3人はビシッとスーツを着て出席することにした。
パーティー会場であるチリ人の住まいは4人で借りているらしく一軒家で結構大きかった。この家からロック調のビートの利いた音楽がながれ、その音は外に聞こえるくらい大きかった。
ドアーを開けて一歩入ると驚いた。なんと参加者は皆Tシャツにジーパン姿で、なかにはアロハシャツ風のヨレヨレの服を着た学生もおり異様な感じがしたのだ。奥の部屋には何か怪しげな雰囲気があったので近づくことすらできず、我々3人は改めて顔を見合わせた。
日本人の感覚では欧米人のパーティーといえば白のテーブルクロスにシャンパンなどのドリンクやご馳走が所狭しと立ち並ぶのが普通であると思っていたところが、このパーティーはポテトチップと缶ビールだけの質素というかお粗末なものであった。まさに日本人の認識不足には3人で大笑いした。
そうこうしているうちに授業も佳境に入ってきた。3人はこの出来事を忘れたように勉強に明け暮れる毎日を送った。
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